カテゴリ: 訓示

その長ずる所を尊び、その短なる所を忘る。『老子』
こういう言葉をシッカリ受け入れる事も大切なことかもですね。(^O^)
 
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次の言葉も好きです。
天網恢々、疎にして漏らさず。
正直に素直に生きようと思いますね・・・。
 
ネットより転載
 天網恢々、疎にして漏らさずとは、物事を、断乎としてやることに勇気があって人を平気で殺し、断乎としてやらない方に勇気があって人を生かす。生かすのと殺すのと二つの内、一つは利があり、一つは害がある。だが、天が憎むのは必ず殺の方だ。とすれば、物事を、断乎としてやることに勇気があって人を殺す者は、天の意思に背くことになるわけだから、当然、天の罰を受けていいはずだが、世間は必ずしもそうは行かない。反対に、人を生かした者、必ずしも天の賞を受けるわけでもない。大勢の人を殺して、天罰を受けない者もある。
 だから人々は、この活殺二つの利害と、天の憎むところが一体どちらにあるかがわからなくて迷うし、聖人でさえも、この点がハッキリしなくて困っている。
 だが、長い目で見れば、この二つの利害と、天の憎む所が一体どちらにあるかは、自から明らかである。天の道は争わずして勝ち、言わずしてよく応じ、招かずして自から来、緩やかであってよく謀る所にある。
 だから悪運の強いときは、なるほど一時は天にそむいても、罰を受けないこともある。しかし、結局は天の罰を受けることは必至だ。天の網は恢々として広大であり、その網の目は疎だけれども、善悪の応報は必ず下し、決して失敗することはない。 (天網恢々疎にして失わず)
 
 以上の文章は、「老子」第七十三章にある。この章は、天道が生を好み、殺を憎むことを、老子一流の論法でのべたもの。俗にいう「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃(わざわい)あり」(「易経」文言)とか、「悪事千里を走る」(北夢瑣言)とかいうのは、このへんの事情を物語るものであろう。
 
 老子は楚の苦邑(河南省)の人で、孔子よりやや年長、周に仕えた。あるとき孔子が訪ねて行って、礼を問うたところ、「お前の飾りつけと、欲ばり根性と、みだらな心を捨てよ。いうことはそれだけだ。」と叱りつけ、さすがの孔子をして、「今日は初めて竜というものを見た。」と嘆息させたという。後に官職をやめ、西に向かって函谷関を通ったとき、関令の尹喜が頼んで書き残してもらったものが、今日に残る「老子道徳経」五千余言だという。
 
 老子の教えは《無為自然》にある。つまり赤ん坊のように天真素朴、無欲であれば、世の中には何の問題も起らない。礼楽だの、仁義だの、考悌だの、性理だの、つまらぬ区別を言い立てるから、かえって世も乱れ、人倫もおかしくなる。すべてに無抵抗主義こそ望ましいというのである。
 老子の提唱したこの考え方は、列子、荘子などによって受けつがれ、いわゆる《老荘の学》と呼ばれるようになったが、仏教の無の観念とともに、東洋思想の諦観的な面の形成に大きな役割を果たしている。
 
 なお原典は《疎にして失わず》だが、「老子古今本攷正」に、「ある本にあやまって《疎にして漏らさず》とある」とのっており、ふつうはこの《漏らさず》の方が使われている。

無財の七施・・・・幸せの原点。
こういう事を時々思い出して、生きて行きたい年齢になってきました。
 
 
 
1.眼施(げんせ) やさしい眼差(まなざ)しで人に接する
 「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解して、お互いが打ち解けることができることでしょう。


2.和顔悦色施(わげんえつじきせ) にこやかな顔で接する
 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。また、メールの顔文字も一工夫してみてはいかがでしょうか。


3.言辞施(ごんじせ) やさしい言葉で接する
 言葉は人と人との関係を円滑にするコミュニケーションの大事な方法です。私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。


4.身施(しんせ) 自分の身体でできることを奉仕する
 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお手伝いするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。


5.心施(しんせ) 他のために心をくばる
 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、心底からともに喜び、ともに悲しむことができ、他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心から自然とやさしい顔や眼差しにも表れてくることでしょう。


6.床座施(しょうざせ) 席や場所を譲る
 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体に障害を持っている方に席を譲ることです。座席だけでなく、全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味が含まれています。何事も独り占めはいけません。少なくとも電車やバスのシルバーシートは本来の意義に従って利用しましょう。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。


7.房舎施(ぼうじゃせ) 自分の家を提供する
 四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」(おせったい)という習慣が残っています。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供することは様々な面で大変なことですが、普段から来客に対してあたたかくおもてなしをしましょう。平素から喜んでお迎えできるように家の整理整頓や掃除も心がけたいものです。また、軒下など風雨をしのぐ所を与えることや、雨の時に相手に傘を差し掛ける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。


 いかがですか。一日一善といいますように、私たちも普段の生活の中で、この「無財の七施」の中の一つでも真心のこもった布施を実行できれば、自ずと他のこともできるようになっていくのではないでしょうか。そうすれば、周りの人たちと仲良くでき、自らの心は安らぎ、ともに幸せに暮らすことができるに違いありません。

 
 
 
仏教の教えですが・・・・なるほどなって思うことばかりです。

先日の家族旅行の時、見つけたお言葉です。
つもり違い・・・・全部当てはまるみたいで(ーー;)でした。
 
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このお言葉・・・・・私もふ〜んと感じたので、アップしました。(^O^)
 
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歩いていて、見つけた言葉ですが・・・・・・人付き合いって難しいですよね。

楽しい思い出が大きいほど・・・・修行は辛くなるのかなぁ~。


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あたり前の事・・・・。
ちょっと難しいですが、解る気がします。
 
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先日(5月4日)のグルメハイキングの時、火野葦平旧家でみつけた、言葉です。
 
人とは・・・・
 
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こういう感性を持っているから、戦争作家と言われる事に耐えられず、自分で命を絶たれたのでしょうね・・。
 

先日みつけた・・会社帰りにあるお寺さんの・・・訓示です。
 
ふたつとも・・・読んで反省のご訓示でした。
 
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この頃、特に人との縁を感じるようになりました。
 
大事にして、生きていこうと思っています!!
 
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久々のお寺さんの訓示です。
 
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